神石高原町立病院 副院長 服部 文子 先生

名古屋から、夫の実家のある神石高原町へ。
医師としても町民としても、充実の日々。
神石高原町立病院
副院長
服部 文子 先生
プロフィール
愛知県出身
- 1993年
- 愛知医科大学医学部医学科卒業、医師免許取得
国立東京第二病院勤務(研修医) - 1995年
- 東京女子医科大学放射線科勤務(医療練士)
- 1998年
- 名古屋大学医学部附属病院勤務
- 2003年
- 名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了
広島県立神石三和病院勤務 - 2006年
- 広島県立神石三和病院内科部長就任
- 2009年
- 神石高原町立病院内科部長就任
(広島県から神石高原町への病院移管による) - 2013年
- 神石高原町立病院副院長就任

神石高原町で、地域医療を担うようになった経緯を教えてください。
2003年にこちらに来る以前は、名古屋大学の老年科で高齢者医療の研究をしていました。神石高原町に来たのは夫の実家に帰るためで、どちらかというと成り行き上のことだったので、当初は「地域医療をやるんだ」ということは、ほとんど意識していなかったと思います。
ずっと内科をやってきたにも関わらず、ここでは外科的なことも含めた総合的な診療をすることになります。救急では当然いろんな症状の患者さんが来ますので、最初は毎日ドキドキだったことを覚えています。「私には診られない!」と思ったことも何度もありますよ。
いろんな先生に教えていただいたり、いろんな患者さんとの関わりを積み重ねたことによって、専門外の知識や技術も身に付けることができ、少しずつ「地域医療を担う」という意識も芽生えていったように思います。
もちろん、もともと私の専門であった老年科での経験も、とても役に立っていますね。
老年科を専門にしたのは、なぜですか?
医師になった当初から老年科と決めていたわけではなく、その時その時、医師として精一杯に研鑽を重ねながら、尊敬できる先生との出会いにも導かれ、興味のあることや挑戦したいことに向き合ってきました。そして内科は総合的に診られるようになりたい、終末期医療や在宅医療、福祉との連携などを学びたいという希望を総合的に考慮して、老年科にたどり着きました。
迷いながら進んできましたが、振り返ってみると、全てのことが今につながっているように思います。
神石高原町に来て印象的だったのは、どのようなことですか?
何より町民の方々が、人としての生きる力が高いということ。みなさん、ちゃんと地に足のついた暮らしをしているという印象です。子どものころから農作業が身に付いているせいか、季節の移り変わりとともに生活があり、大抵のことは自分たちの手でまめまめしくこなされています。
そして、ご近所づきあいをとても大切にしています。かといって、すごく馴れ馴れしいということではなく、程よい距離感で困った時にはしっかり助け合う。やはり田舎ですから、何か事故や事件が起きても、救急や警察が来るまでに都会よりも時間がかかります。そうなると、最初に頼れるのはご近所さんですからね。そういう関係がとても心地よく、私も見習いたいですし、大事にしたいと思っています。
子育ての環境としてはいかがでしょうか。

本当に良い環境ですね。特に中学生くらいまでの子どもを育てるには最高ではないでしょうか。もちろん自然が豊かなことも魅力の一つですが、それ以上に、地域全体で子どものことをとても大切にし、きちんと育てているという印象です。先述の通り、町民の方々の基本的な生活能力が高いので、子どもたちにも自然とそういう力が受け継がれていますね。私も子どもも、いい関係を築かせてもらい、とても幸せなことだと思っています。
医師としても、神石高原町に来て良かったと思いますか?
はい、思います。ここでは総合内科的なこと、終末期医療、在宅医療、介護との連携など、私自身がやりたかったことに取り組むことができ、医師としてもとても充実しています。学生の実習も年間を通して受け入れていますので、私自身が「やりがいがある」と心から思えることを、未来を担う若者たちに実践を通して伝えられるのも、ありがたいことですね。
そして学生たち自身が触れたこと、感じたことがきっかけになって、将来的に地域医療の道に進んでくれる医師が1人でも増えると嬉しいです。そのためにも、これからも地道に種まきをしていきたいと思っています。
最後に、医学生や若手医師の方にメッセージをお願いします。
田舎でしか得られない経験というのもたくさんあるので、感受性豊かな若い時期に、田舎に住むという経験はとても貴重なことだと思います。地域医療に興味のある方は、ぜひ楽しんで挑戦してもらいたいと願っています。

(2019年1月)